とりとめのないつぶやき

項目が増えてきたら目次を作ることも考えます。

つぶやきはじめ1999.04.20 筆

「とりとめのないつぶやき」という題は、我ながら悪くないね。 「とりとめがない」のだから、なにをつぶやいてもいいし、「つぶやき」なのだから、人に聞かせよう読ませようってもんじゃない。 読むなら勝手に読んどくれ、私ゃぁ勝手につぶやくよってなもんで、唯一最大の問題は、「じゃ、なぜ、つぶやくか」ってことだ。

でも、「つぶやき」ってのは、そういうもんでしょ。ねっ。

んんん、同意を求めることろなんざぁ、「人に聞かせよう読ませようってもんじゃない」ってのが大嘘の証拠です。 誰も読んでくれない可能性が限りなく高いことを薄々感じ取っての自己防衛本能ってヤツですね。ハイ、証明終わり。

ということで、自分自身不可解な「なぜ書くか」にも免罪符が得られた!?ところで、限りなく果てしなく、いいかげんに始めましょう。

枠組みを作ってみたとりとめのない雑感1999.04.20 筆

結構考えて枠組みを作ってみたのだけれど、気づいたことがふたつ。

まず、表紙にハンドルがない。トップページのタイトルは以前のホームページのまま This is SEKISEI-NYANKO なんだけれど、 ローマ字じゃ自分のハンドルって気がしないし、ワープロなんかで見ているとどこにも表示されない可能性まである。

まぁいいや。なんとなく表紙にハンドル入れる気にならないもん。 私のハンドルは「セキセイニャンコ」が本名で、これが長すぎて呼ぶにもタイプするにもうざったいので、通称「にゃんこ」。なぜかここでひらがなになる。 それから、インターネットで使うことのある「nyan」もハンドルで、これは RIMNET の横浜に「nyanko」の先着様が居たってだけの話だ。 長くするより短くして重複を避けたのです。

さて、この最初の欠陥は、O型の繊細かつ大雑把な私の性格と、ニフティで鍛えた誤字脱字編集ミス記憶違いをものともしない忘却性の厚顔無恥で十分凌げる。どうだ、まいったかぁ〜。

もうひとつの問題はもっと深刻なのだ。

なぜ、私の個人ホームページで酒自体がテーマにならないか。んんん、これは奥が深い。既に早朝とは言えない平日朝の酔っぱらいには荷が重いので宿題にしちゃおう。

酒といえば、私はほとんど毎日ウィスキー(スコッチ・バーボン・国産)を飲むけれど、一旦外に出ると圧倒的に日本酒の方が多い。 つきあいで日本酒なのではなくて、大人数一緒で周りがビールから始めていても、私は手前勝手にいきなり日本酒から始めるのです。 ビールが苦手なせいもあるけどね。我ながらこれも謎のひとつ。

そして日本酒となると、断然「浦霞」がいい。肌に合う。量を重ねてもくどくならないし、ちゃんと味がし続けるのがいい。 ウィスキー系の酒なら味も銘柄も結構よく覚えるのに、なぜか日本酒は全然覚えないのだけれど、これだけ飲んでいればそこそこお気に入りが出てくる。 お気に入りの中で、ここ2〜3年ダントツの好感度を示しているのが「浦霞」なのです。

でもって、「元町近隣で美味しいもの」で最初に紹介した店、即ち選りすぐりのお気に入りの3件の店のうち2件に「浦霞」が置いてあることに気づいた。もう1件は喫茶店です。 つい最近まで「浦霞」はそんなメジャーじゃなかったような気がするのに、最近は飲み屋さんでも出会うことが多くなりました。ここは単純に喜んでおきましょう。

そもそも「浦霞」との出会いは、みんなで大挙して仙台に行った時、案内役の仙台住人で、ニフティで古い知り合いの女性に勧められたのがきっかけだ。 その妙齢の女性は、酒好きだとは思うがきっと酒飲みではない。まぁ素質はありそうだが…。単に宮城の銘酒だから勧めただけだろうと私は睨んでいる。

その彼女が更に勧めたのは「浦霞」の吟醸バージョン「浦霞禅」だ。滅多に手に入らないのだよ云々と蘊蓄を聞かされて買って帰ったのだが、たしかに旨かった。 「あの味は忘れられない」というのは嘘で、味はとっくに忘れているのだが、とても旨かったことだけが脳に執拗にこびりついている。

今年になって、その「浦霞禅」が会社近くのスーパーマーケット!に置いてあるのに遭遇した。もちろん即買いました。 そのすぐ後、買った「浦霞禅」をまだ味わわないうちに、今度は家の近所のお酒のディスカウントショップでまたも遭遇。これまた即買って、冷蔵庫に大切に保管しておきました。

「浦霞(禅)」もメジャーになったもんだなぁ〜と、それが油断だったのです。 麻雀フォーラム関東地区月例会の1・2月の賞品が寂しかったので、この「浦霞禅」を大会賞品に提供してしまいました。 そうなの。自分が飲むために改めて探したら、もうどこにもなかったのですよ。あぁ〜悔しい。

これって相当に「いじましい」つぶやきだが、酒飲みってのはそういうもんです。 老人性痴呆症にでもなったら、これが前面に出てくるどころか、すべてになっちゃうんだろうなぁ〜。 周りの人が諭してくれて一旦わかったような顔しても、3分後には「あの浦霞禅は…」なんて始めるんだろうなぁ〜。 せめては、「私の浦霞禅!」を飲んだ人がちゃんと味わってくれたことを祈るばかりであります。ハイ。

さて、本当は違うところに話を繋ぐ予定だったような気がうっすらとするのだけれど、「浦霞禅」の話にはまってしまったようですね。 油断と老人性痴呆症は大敵です。ということで、初回のつぶやきは、これでおしまぁ〜いっ。

表紙豹変1999.04.23 筆

「表紙にハンドルなんか入れたくないもん」と書いて3日。 ハンドルをいきなり強く主張してしまいました。 おまけにファイル名を変えるし…。 酔っぱらいの言うことはアテにならないという、数ある見本を着実に増やし続けている気がしないでもない。 時々深夜とか朝方とかにお客さんから電話を貰うことがあって、当然まだ飲んでいるわけだけれど、んんん、大丈夫なんだろうか。

昔は将来の夢の技術のように語られたテレビ電話が、実用段階に入ってきているのに、なぜか普及しないのは「こちらの状況などお見せしたくない」という気持ちが強く働いているからだそうだ。 さもありなん。舌先はなんとか回っていても、真っ赤な顔など見られたら一発である。 匂い付き電話を開発しよう…なんて話を聞かないのはなによりである。

こんなことは白状したくないが、人間齢を重ねると臭くなる。 ことによると世の中の常識だったのかもしれないけれども、汚いことは嫌われるご時世だからほとんど語られない。 だから自分が歳喰って来てはじめて気がついた。 酒飲みだといっそう臭いかもしれないが、朝まで酒飲んでたりすると風呂に入るのはどうしても真っ昼間になる。 それが出来るのは、普通のサラリーマンを辞めて獲得した数少ない特権のひとつである。

こういう生活をしていると、テレビはあまり見ない。 いわゆるゴールデンタイムの番組なぞ見られないし見る気もあまりない。 それでも私の場合、真っ昼間に風呂に入る前後でなんとなくテレビをつけてみることが多い。 早朝や未明に家に帰り昼間に起き出して来た時も同じである。

先日そんな風にしてテレビのチャンネルを切り替えていたら、金田一春彦氏の顔に引き留められた。 実はワイドショーにはまってしまうこともあるのだけれど、昼間のテレビは放送大学とか教育テレビとかが結構面白いことがある。 その時は金田一先生がインタビューされていて、当然言葉の話が中心になっていた。 先生曰く、「ら」抜き言葉はなくならないし、「ら」抜きに進んでいくの自然な流れである(という個人的見解だ)そうな。

「見られる」のような表現は3通りもの意味に解釈できるので、より混同しにくい表現に変わっていくし過去にもそういう例があるそうだ。 そう言われてみれば私自身「見れる」のような響きに以前ほど抵抗がないばかりか、ことによると時により「ら抜き」でしゃべっている可能性もある。 口に出かかったところで「あれ?」となった経験があるので、そのまま「見れる」と言っていることがあるに違いない。

私はまぎらわしいのがとっても苦手である。「ず」と「づ」や「じ」と「ぢ」も苦手だし、「が」の鼻音なんて言われるとほとほと困り果てる。 私の耳は性能が悪いので、この辺はそのせいだと片づけているが、「役不足」なんてのも苦手だ。 「本来こっちの意味だけど逆に使われることが多い…」なんて一旦わかってもたちまち混乱してしまう。 だから違和感が薄くなって来てみると、「ら抜き」歓迎してもいいかなぁ〜なんて気になってしまいそうだが、最近もっと過激な違和感に晒され過ぎているのかもしれない。

「君子豹変」は元々あんまり使わないからか、私も混乱を免れている。 良いこととわかれば君子は改めるに躊躇わず、豹変するのですよ。ということで、表紙豹変でありました(滅茶苦茶強引な結び方だなぁ〜)。

表紙猫変1999.04.29 筆

JavaScript で遊んでいるうちに、またも表紙をマイナーチェンジしてしまった。

表紙の「横浜編」の文字を左クリックすると、にゃんこが沢山出てきます。 「つぶやき編」の文字だともっと沢山出てきます。 そこは猫ですから、中には協調性が足りないのとか、ちょっと変わったのもいて、毎回1匹ずつそういうヤツが混じっています。 探してやって下さい。へんな子は全部で7匹います。

JavaScript やレイヤが使えないブラウザでは、沢山のにゃんこが出てきません。ごめんなさい。 NetScape の 4.06 と Internet Explorer の 4.0 で動作を確認していますが、NetScape だと時々異様に時間がかかることがあります。 ウィンドウがフォーカスを失った時の処理でなぜか Java を起動しようとしてそんな状態になりますが、ウィンドウを切り替えたりすると直ります。

表紙を表示した状態でなら、接続を切ってしまっても何度でも繰り返すことが出来ます。 オンラインだと猫たちの動きが微妙にずれて発見が楽ですが、オフラインだとかなり難しい子もいるので頑張ってね。

SYLPHY 閉店1999.06.25 筆

3年間本当にありがとうございました。

衝撃的なメールが、昨晩遅くに飛び込んできた。 「元町近隣の美味しいもの」でも取り上げている Cafe SYLPHY が、本日をもって閉店しましたとのことだ。

「なんでいきなり」「落ち着いた息抜きの場所がなくなってしまった」「甘さ極控え目のケーキが食べられなくなる」などの想いが一瞬にして頭の中を駆け巡ったが、「主の古川さんの可愛い狐顔を見られなくなる」というのが一番の衝撃だったかもしれない。

私が2度目に SYLPHY に入ったとき、たいへん驚かされたことがあった。 何も言わないのに、ミルクも添えられずスプーンも付いて来なかったのである。 コーヒーをブラックで飲む者にとっては、スプーンなど邪魔なだけなのだ。 古川さん自身が復活するのでなければ、こういう気働きをしてくれる店にはもう巡り会えないような気がする。

「元町近隣の美味しいもの」にも書いているが、珈琲が美味しくて雰囲気が良く落ち着けて高過ぎない喫茶店が、元町周辺には極めて少ない。 それもその筈で、こんな地代の高い街で「落ち着けて高過ぎない」などというのは元々かなり無理な注文だし、集まる人が多い街なのだから、そんな店があればたちまち混み合ってしまって結局は落ち着かなくなること必定なのである。

その点 SYLPHY は、とても不思議な店だった。 「珈琲が美味しくて雰囲気が良く落ち着けて高過ぎない」は完璧に満たしていたし、手作りケーキはかなりのハイレベル。 そして元町から少し脇に入っただけなのに、滅多なことでは混み合わないのである。 喫茶店自体が少ない元町の中にあって、SYLPHY の隣と少し先にそれぞれ非常に個性的な喫茶店が2件、SYLPHY より手前にはとても標準的な喫茶店が1件あったのがいけなかったのかもしれない。

もっとも、閉店の理由は聞いていない。 ことによると古川さんの体調とか個人的事情による閉店なのかもしれない。 なお、そのうち通販や卸のお菓子屋さんを始める予定だそうな。 朗報を待ちたい。

THINKS のこと1999.06.26 筆

閉店してしまった SYLPHY に、主の古川さんのお仲間が集まっていることろへ連れ合いと私二人がお邪魔して、沢山のワインや軽い食事をご馳走になって来た。 古川さんの幼馴染、元の会社の同僚や友達といった人達である。 普段の常連の人々もそうだったのだが、こういうほんわかした仲間が引き寄せられるというのは、やはり古川さんのお人柄なのだろう。 本来後ろ髪引かれるような想いの集まりの筈なのだが、たいへん楽しいひとときだった。

そんなこんなで私は今、すっかりおセンチな気分なのである。 そこで SYLPHY 以外の、もう今はない店について書いてみたい。

私がはじめて店の常連というか、客の立場を少し越えてしまったような気になったお店は、新橋の THINKS というバーだった。 もう15年くらい前のことで私は既に酒飲みだったが、THINKS を発見する以前は一人で外で飲むことはまだなかった。 新橋というところはバーやスナックの密集地で星の数ほど飲み屋があるのだが、私にとってはたまに職場のつき合いで飲みに行くくらいだったのである。

それが、良く通る裏道沿いの1階に、気づいたら出来ていたとある店が妙に気になり始めたのである。 モルトウィスキーのフロムザバレルが見えたのが、最初に気になった理由だったかもしれない。 その店は、バー・スナック・パブといった具合のカテゴリー分けにどう見てもはまらなかった。 場末の裏道に、窓が広くやけに素っ気なくシンプルな、でもおしゃれと言えないこともない、強いて言えば小さな設計事務所のような外観だった。 そう、身も蓋もないほど飾り気のないフロムザバレルのボトルのような店であった。

私は既に会社を辞めて独立することを考え始めていたと思うが、その頃妙に気が合い始めたというか、私とはまったくタイプの違う同期の同僚と二人で飲みに行こうということになった。 お互いに気になる店があるということで、それぞれの店に行ってみることにしたのである。

今思えばやはりへんな店だった。 奥行きは広いが数人座れるだけのカウンターとテーブルがひとつ。 大きな窓には素っ気ないブラインド。 なんとなくオフィス風の観葉植物がひとつ。 酒はフロムザバレルだけ。 商売っ気のない脱サラのご夫婦が切り盛りしていた。

最初に一緒だった同僚とも行ったが、それより一人でも沢山通った。 他の誰かを伴うこともあったが、突っ込んだ話や個人的な話を出来る人に限った。 そういう人達もこの店を気に入ってくれたようだし、逆に THINKS の方でもそういう扱いをしてくれたようである。 その頃まだ札幌に住んでいた今の連れ合いも1度だけ連れて行ったことがある。 退職後の勤めのしかも病み上がりで、偶然同じ新橋に通っていた父と一緒に行ったこともある。 父が仲の良い同僚と一緒に来ているところと出会ったこともある。

それがある日ツケの請求もしないまま忽然となくなってしまった。 その一角が地上げ屋の攻撃にあったという説もあったが定かでない。 半年後、私も新橋から去った。 その時私にツケがなかったら消息を教えてくれたのではないかと思うと、悔やまれてならない。

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