狂王ヘロデ曾野綾子

短編集やコラム集なら片っ端から読んでいたのだが、著者の長編小説にはなかなか手を出しにくい気がしている。 重いのだ。 陰々滅々とした重さではない。 物語はむしろ淡々と語られてゆく。

なにかが熱く語られるわけではない。 危機感とか高揚感が煽られることはない。 同情や憐憫を誘うのでもなく、共感を求められるのでもない。 ただ、できごとや人を、あるがままに見つめる姿勢が貫かれる。 曾野綾子作品を重いと感じるのは、おそらく読む側の私の弱さの露呈なのだ。 あるがままに見つめるという、そのことにたじろぐのである。

『狂王ヘロデ』は古代ローマ時代のユダヤ王ヘロデの物語であり、唖の竪琴弾きの少年の視点から語られる。 この語り部の創作がいかにも曾野綾子氏であるというか、「あるがままに見つめる」語り部そのものである。

ヘロデ王という名前は聞いたとこがあるにしても、平均的日本人には馴染みの薄い土地と時代の話だが、この題材を上質の作品に仕上げられる日本人はそうそういない筈である。 ユダヤに生じた信仰や、その土地を巡るさまざまな民に対する深い理解がなければ、単なる寓話になってしまいそうなところである。

曾野綾子作品は、残る。 特に短編で私はそういう経験をしているのだが、印象が後をひくというか、ずっと後になって作中の場面が突然思い浮かぶことになるのだ。 『狂王ヘロデ』も随分残りそうである。 読書を「他人の人生を経験してみられるもの」と位置づける人がいるが、そういう捉え方によるなら曾野綾子作品は最上等のものであろう。

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