できるだけ多くの画素数で撮影すべし  
ホームページ作成用なら85万画素機で十分?

ホームページ作成用なら85万画素機で十分?

デジカメ関連サイトの掲示板などで、初心者のデジカメ選びの質問に対して「ホームページ作成用なら85万画素機で十分」というような言い回しをよく見る。 画素数のところは130万画素になったり150万画素になったりもする。

掲示板には手っ取り早い回答を求めている人が多いし、いちいち細かく説明することなど出来るわけもない。 だいたい、そういう掲示板への質問の大半は常に繰り返される質問だし、質問を書き込む前に周りをちょっと見回せば同じ話題の質問と回答や、時にはその疑問に直接答えるためのコンテンツまで用意されていたりする筈なのだ。

それでも掲示板に質問を書いてくるということは、しかも「初心者なのでよくわかりません。なにが買いですか?」なんて、自分はどういう使い方をしたいのかさえ説明せず、相手に説明だけを求めるような書き方で聞かれれば、細かいことを説明しても無駄だと考えて当然なのである。

だから私も「ホームページ作成用なら85万画素機で十分」という言い切りを否定はしない。 ただ、自分ではそう言い切る気にはならないのである。

ホームページ作成用の意味するところ

「それがどうしてか?」というのが、この項の切り口だが、具体的話に入る前にホームページ作成用というのが、どういう前提であるのかを考えてみよう。 なお、ここに書く個別の話題自体はホームページ作成に限った話ではない。

他の前提の前に、更に大前提がある。 画像ファイルの画素数と容量を、目的に応じて調整するというのが大前提である。 この話に関しては"利用目的に合わせてサイズと容量を調整せよ"で少し詳しく書くので、そちらをご覧頂きたい。

まず、ホームページ作成用ということは、Webサイトのコンテンツに使用する写真を撮るデジカメの話を意味する。 まぁこれは間違いないだろう。 そこから先は想像を働かせるより仕方ない。 普通の人が単にホームページ作成用というからには、だいたいこんな線だろう…といった具合である。 私ならだいたいどんな線を想像するかと言えば…

Webページ中に使う写真のサイズは大き目のもので 320×240 ピクセルくらいかな。 サムネイル(小さな写真)からリンクして、大きな写真をページ一杯に表示させる時でもVGAサイズ(640×480 ピクセル)止まりだろうな。 特に何も言っていないから、商品撮影のような物撮りはしないし、気合いの入ったギャラリーを作るというわけじゃないだろうな。 家族やペットの写真だったり旅行記だったり、いろいろ撮りたいのかな。

だいたいこんなところだろうか。 しかし、たとえば予算の制約だけはしっかり指定してあったりするから、もっと想像しなければならない場合は…

室内で撮ることもあるのだろうから、暗いところに強い方がいいに違いないけれど、夜景まで望むなら予算にもよるな。 まぁ、出来るかどうかなんて考えずに、やっちゃうんだろうな。 細かい設定は出来るに越したことはないけれど、設定できても使うのかな、どうかな。 となると、オート性能が良くないと辛いだろうな。 レタッチ前提とは考えてくれないだろうから、撮ってポンでそこそこ色が出てないといけないのかな。

想像を働かせれば働かせるほど、機種選びは容易になるかもしれないが、質問者の隠された意図とどんどん離れて行く確率が着実に増していくのである。 また本題とは関係ないが、僅か2〜3行のあやふやな質問をして、無償で回答しようとする側にこんなことを考えさせるなんて、実に罪深いことである。

画像は縮小した方が綺麗?

ホームページ作成用の前提として、掲載画像は大きくてもVGAサイズ(640×480 ピクセル)、普通はもっと小さいサイズを私は想定した。 VGAサイズというのは 640×480=307200、即ち約30万画素、頻繁に使いそうなサイズは、面積でVGAサイズの4分の1あたりの8万画素前後だろう。

ということは、「ホームページ作成用なら85万画素機で十分」という言い方は、画像を縮小して使うことを前提としている。 おもちゃデジカメを除けば、今日日30万画素クラスのデジカメというのは特殊な機種しか存在しないということもあるのだが、実はそれだけではないのだ。

最近は話が複雑になって来て、いろいろ注釈を付けざるを得なくはなるのだが、またそのためか語られることも少ないのだが、画像は大きく撮って縮小した方が綺麗なのである。

もっとも、半端な縮小はいけない。 たとえば 640×480 ピクセルで撮影した画像を、600×450 ピクセルに縮小しても、綺麗にならないどころか画質は落ちてしまう。 あくまで、縦横各2分の1、面積即ち画素数にして4分の1か、それよりもっと大きな倍率で縮小した場合の話である。

なお、意味の薄い水増し処理で大きくなった画像を縮小する場合には、少々バランスが異なってくることだろう。 水増し画素数の話は"画素数が多ければいいってもんじゃない"で少し詳しく書くので、そちらを見て貰いたい。

縮小処理とシャープネス

画像は縮小した方が綺麗というのは考えてみればあたりまえの話で、より大きな情報を凝縮するわけだから、最初からそのサイズで撮った写真より綺麗に見えてあたりまえなのである。 ただ、縮小によって失うものもある。 たとえば、被写体の輪郭のシャープ感…輪郭強調・シャープネスとほぼ同義…などは縮小処理で失うことが多い。

しかし、これにはふたつの面がある。 ひとつは、原理的にそういうものであるということだ。 だから、低い倍率で縮小するのは良い結果に繋がらないのである。 もうひとつの面は、デジカメが画像ファイルを作成する時に、撮ったままのサイズで画像が美しく見えるように輪郭強調をかけている場合である。 民生用のデジカメでは、多かれ少なかれ輪郭強調が施されていると思って良いようだ。

デジカメで撮った画像を縮小するということは、デジカメが施した輪郭強調を御破産にすることになるので、結果的にシャープ感を失うわけである。 そちらの面では必要に応じて自分でレタッチしてシャープ感を出してやれば良いわけで、あまり気にする必要はないものだと私は思う。 余談だが、シャープネスを過剰に施すデジカメを嫌う人がいるのは、そういうわけなのである。

更に注釈が要る。 以前ならデジカメ毎に用意されている複数の画像サイズというのは、CCDの受光素子のうち、どの範囲を使うかとか、飛び飛びに使うと小さな画像になるとか、そういう選択に過ぎなかったと思う。

ところが最近は必ずしもそうではないのである。 CCDの広い範囲の受光素子を使いながら、それを小さめの画素数にまとめて来る機種も増えてきているようなのである。 そういう場合には、デジカメで小さく撮った画像が、大きく撮って縮小した画像と同じ意味を持っているかもしれない。

それどころか、デジカメは画像ファイルにしてしまった後では失われる情報まで使用して処理を行うので、パソコンで縮小するより綺麗な画像になっている可能性もあるのだ。 但しその手の処理が十分に高品質かどうか、あるいは即応性を求められる条件下でパソコンで行える縮小処理以上のことを本当に行っているかどうかは、実際には不明である。

仮にそういう処理が期待出来るとして、そうしたデジカメが作成した小さめの画像も良いことばかりではない。

ドンピシャそのサイズの画像ファイルが欲しかった場合には、それはそれで良いのかもしれない。 しかし、画像は加工を繰り返せば弊害が累積するもので、そういう処理を施された画像に、更に縮小その他のレタッチを加えるのは、控え目に言ってもあまり気の進む話ではないのである。

縮小した方が綺麗になる、もうひとつの理由

以上、やむを得ず注釈が多くなったが、素直な画像処理で大きく撮られた画像を十分大きな比率で縮小する限り、大きく撮って縮小した方が最初からそのサイズで撮った画像より綺麗なのである。

これはデジカメで撮った画像に限った話ではない。 スキャンようとキャプチャによるものだろうと、写真の性格を持つ画像に共通して言えることである。 しかし、民生用デジカメで撮った画像に固有の理由もあるのだ。

知っている人は知っている、知らない人はおそらく想像もしない話題だが、受光素子は色を検出できない。 モノクロなのである。 そこで、モノクロの受光素子を使ってカラー画像を生成するために、物理的なフィルタが使われているのである。

CCDの各受光素子の前には、色つきのフィルタがあって、フィルタを透過してくる光だけを各受光素子が感知しているのだ。 ここでフィルタは3色からなる細かい市松模様のようになっている。 フィルタにRGB(赤・緑・青)を透過させるものを使用する場合と、CMY(シアン・マゼンタ・黄)を透過させるものを使用する場合があり、それぞれ原色系・補色系のCCDと呼ばれたりする。

そのようにして、CCDの各受光素子はモノクロなのだけれど、ある受光素子は緑を検出し、その上隣や下隣は赤を、その右隣や左隣は青を…という風になっているわけだ。 そして、緑を検出する役割の受光素子の位置では赤や青の情報が欠けているわけだが、それを近所の赤や青の光だけを検知している受光素子の情報などを見ながらソフトウェア処理で埋めている、即ち補間しているのである。

これもある種の水増し処理には違いないのである。 民生用デジカメに限って言えば、300万画素CCDと言っても300万画素×3原色分の受光素子があるわけではないのだ。

ここで、受光素子の前にあるフィルタの市松模様は2×2ピクセル単位に模様を繰り返す。 なお人間の目が緑に対してより敏感なため、この例ではRGGBを単位にするのが普通らしい。 考えようによっては、2×2の4ピクセル集まってはじめて一人前とも言えるわけだ。 これが、デジカメ画像は十分な倍率で縮小した方が綺麗である、もうひとつの理由である。

余談だが、デジカメではソフトウェアがたいへん重要だというのは、こんなところにも理由があるのである。

あらためてホームページ作成用に必要な画素数の話

少々込み入ってしまったが、上記縮小の話題を大雑把にでも理解して貰えれば、最終的に使用する画像の4倍の画素数を欲しくなって来るんじゃないだろうか。

あとはホームページに掲載する画像の大きさによるわけで、たとえばVGAサイズ、即ち約30画素の画像を掲載したいのなら、120万画素程度のデジカメを用意した方が良さそうだということになる。 しかし焦ってはいけない。 本当にそれだけで良いのだろうか?

トリミングの話

トリミングというのは、画像として残したい部分だけを切り取ることである。 こういうことが手軽に出来るのがデジタル写真の美味しいところだが、世の中そう甘くない。 トリミングはかなりの曲者なのである。

まず、トリミングしたい場合というのを考えてみよう。 どうも、3通りの動機に分類出来るのではないだろうか。 もちろん、それぞれの動機が複合していることも多い。

まず、構図を整えたい場合。 あるいは画像の端の方に写したくないものがかかってしまった場合なども、これに含めてしまおう。 次に、被写体に寄り切れなかったので、被写体をもっと大きくしたい。 即ち、被写体を残してそれ以外の部分を切り詰めることで、主被写体を相対的に大きく残すことである。 これはデジタルズームに似ているが、これについては"光学ズームとデジタルズーム"で触れるので、適宜参照されたい。

ここまでなら、話はそう複雑にはならない。 もちろん、切り取ることで、画像サイズが小さくなるわけで、小さくなった画像を縮小して倍率的に使用に耐えるかどうかという配慮は必要だろう。 本当に問題なのは次の動機、あるいはそれが複合している場合なのである。

画素が綺麗に並んでいることが災いする

写真が微妙に傾いてしまって気になる。 そういうことはないだろうか。 これが銀塩写真なら、写真の縁と平行にトリミングするのも、傾けてトリミングするのも、その条件になんら差はない。 ところが、デジタル画像の場合、元のピクセルが格子状に綺麗に並んでいるのが災いして、90度単位以外に傾けて加工すると著しく画質が劣化するのである。

また、たとえば山の写真や草花の写真なら、本当はかなり傾いていてもあまり気にならないことが多い。 水平や垂直の厳密な基準になるものがあまり写ってないので、当然と言えば当然である。 水平線や地平線でも写っていない限り、ネイチャー系の写真では傾きが元々あまり気にならないのである。

ところが、人工的構造物は少々の傾きが非常に気になるものである。 極端な例を挙げれば、高層ビル群の全景などを撮ると、1度未満の僅かな傾きでさえ人間の目には傾いていると見えてしまうのである。

しかも悪いことに、高層ビルの窓といったような小さく規則的なものが写っている部分では、画像は相当にきわどい状態になってしまうのが普通だ。 そこへ画像を傾けてトリミングなどしようものなら悲惨な結果になってしまうのだ。

そんな極端な例を挙げるまでもなく、画質に気を配りながら傾けてトリミングする時には、元画像のサイズがいくらあっても足りないくらいである。 勿論、元画像でトリミングするのである。 縮小してからトリミングしてはなんの意味もない。

その他のレタッチと画素数の話 (読み飛ばし可)

縮小やトリミングもレタッチの1種であろうが、レタッチ一般と画素数の話を少しだけしよう。 本末転倒気味の話かもしれないので、その点は予めおことわりしておく。 私は、最初の頃はレタッチ消極派であった。 こういう人は多いのではないかと思う。 今の私は「消極的レタッチの積極派」といった感じである。

レタッチ消極派の中にも、その理由はいろいろあるので一概には言えないが、私の場合は「写真は真を写すものである、それを人為的に加工するのは潔くない」というような感覚だった。 あくまで推測だが、レタッチ消極派の中で一番多い理由ではないだろうか。

しかし、この考えを変えるのにたいして時間はかからなかった。

それは、少なくともある意味で、写真は真を写していないと認めざるを得なくなること。 たとえば、見た目とあまりに違うものが撮れてしまうのは、腕のせいばかりではないと知ったことや、前の方で出てきたように、デジカメ内部で既にシャープネスなど加工が施されるものだと知ったことなども大きく影響したのだと思う。

また、適切なレタッチを施すことで、たとえばコンテンツに出せない画像が見違えるように生き返ることもある…という経験をすると、結構レタッチにはまるものである。 霞がかかったような眠たい画像をすっきり引き締めたり、露出不足で暗すぎる画像を明るくしたりというあたりが第一歩だろう。 もちろん、レタッチ万能ではないし、レタッチでかなり救える写真も、救いようのない写真もある。

ここでの話はレタッチの話ではない。 レタッチと画素数の話である。 ポイントは、たいていのレタッチは、たとえ適正なレタッチであっても、別な面では画質を荒らすということである。

たとえば眠たい画像をレタッチで引き締めるのに成功し、効果絶大であったとする。 しかし、よくよく見れば、良いこと尽くしではないのに気が付くことだろう。 それぞれの画像とレタッチの内容次第だが、背景の奥行き感が少し失われているとか、背景の木々の葉がざらつくような感じになるとか、たとえばそんなところにしわ寄せが出ているものなのだ。

結局そういうことは避けられない。 しかし、多少荒れた部分や事柄も、その後に縮小を施すと、ほとんど気にならなくなるという効果もあるのだ。 もっとも、そのために縮小を繰り返すのは論外である。 言うまでもない。

詳しく説明しないのでわからない人にはそのまま読み流して貰うよりないが、櫛状のヒストグラムという話題もある。 たとえばトーンカーブやガンマ値をレタッチすれば、結果的にヒストグラムは櫛状になってしまう。 しかし後に十分な倍率での縮小にかければ、複数画素の情報が1画素に融合されることにより、櫛状のヒストグラムはかなり改善されるのである。

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